辻利の石臼挽き抹茶


宇治と言えば茶を思い、茶と言えば宇治を想う。

今日、宇治茶は日本茶の代名詞のような位置にあります。しかしながら、栄西の時代より続く宇治茶の永い歴史の中では、存亡の危機に直面したことがあります。辻利の歴史はそのような時代に誕生し、そのあゆみは宇治茶復興の歴史でもあるのです。

幕末、1860年(萬延元年)江戸城桜田門外において大老井伊直弼が暗殺された年、辻利は創業いたしました。当時、徳川幕府の天領として数百年の間手篤い庇護を受けていた宇治の茶師たちは動乱の中、その庇護を失い、販路を断たれ茶園は荒廃していくばかりでした。

これを見た創業者辻利右衛門は私財を投じて茶業の改善を図り、玉露製法を完成させるとともに茶箱(缶櫃)を考案して販路を拡大し、宇治茶の復興に努めました。その功績は多くの人々に認められ、平等院正門横に銅像が建立される栄誉にいたりました。

辻利右衛門
宇治平等院 辻利右衛門像

茶びつ

その後、二代目豊次郎、三代目利一と受け継がれ事業は拡大し、昭和初期には小倉市、門司市(現、北九州市)の支店をはじめ日本全国に宇治茶を販売していました。また、中国大陸の大連、釜山、台湾の台北の各都市にも支店がございました。戦後、京都市(祇園)と広島市に支店を設立し中国大陸や台湾から引きあげて来られた各支店の方々に小売店の経営をお願いいたしました。

今日、日本の各地に存在する「辻利」はこの様な形で誕生した暖簾分け型と分家型、看板貸与型、共同出資型の四形態に分かれます。この様な過程を経て現在は日本茶のメーカーとして卸売業を中心に全国の茶専門店、菓子メーカー、商社等との取引を行っています。

(株)辻利一本店は、今後も辻利の本家として創業者辻利右衛門の心を忘れず、良質茶を販売してまいります。

※なお「辻利」は当社の所有する登録商標です。


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